10月第3週の土、日は城下の鎮守神、春日大社の祭礼が行われます。寛文3年(1663年)からの神事で9台の鋒山が丹波篠山の商店街を練り歩きます。京文化、祇園祭の影響を受け、篠山青山藩五万石の小さな城下町で3百数十年にわたって引き継がれて開催されています。
当初は10月16日、17日と固定されていてこの日は学校もお休みでした。勤め人も多くなって第三週の土日に変更されました。2階でお囃子を奏でるのは地元の子供たちです。太鼓、縦笛、鐘でお囃子を奏でます。昔は子供も多く1Fにおやつと座布団をもって座っていました。
土曜日の晩には、山鉾は提灯をつけて西町から河原町まで練り歩生きます。祇園祭の山鉾の2/3で小さいものの美しい山鉾が見られます。今年はコロナ禍で宵宮は各町での囃子で終わりましたが、来年は9台そろってみたいですね。
日曜日12時からは神事が執り行われます。昨今では少子化で乗り手も少なく、担ぎ手も少なく大学生やバイトにも協力してもらって要員確保も大変な町も少なくありません。
行列の戦闘を行くのは鬼です。
鬼は乱暴で恐ろしい存在と思われていますが、一方病魔を追い払い無病息災のご利益があり、天災を追い払い五穀豊穣を願う民の願いを現したものです。
この後、各町の旗行列と3基の金神輿が出発します。
各町の旗を掲げて氏子の行れるが行われます。
金神輿は、お濠の周囲をぐるっと半周します。ここから見る篠山城も蓮の葉の向こう大変美しく見えます。
鏡山の見送りは一番地味ですが唯一国の重要文化財となっています。鏡は神聖にして清浄・潔白を示す神体の象徴です。陶々菴や昭和ブリキ館などがある最も西に位置する「西町」の鏡山の見送りは、極楽、竜宮、唐の三界をあわしているありがたい絵図です。綴れ織りの芸術性の高い見送りです。
蘇鉄は葉の形が鳳凰の尾に似ていることから目出度いことを示す鉾山です。見送りは三国志の英雄張飛が馬上で矛を振るといわれる豪快な絵図です。(関羽ともよばれますがこれは張飛ににてますよね。)ちょっと粗暴ですが、「英雄」の山鉾です。ここは小西のパンや洋食のあんずさんなどがある「魚屋町」です。
諫鼓山とは人民が役所に訴えごとをするときに打ち鳴らした太鼓のことでとても重要なものでした。古代中国では天下泰平が続いた時代は不要になった諫鼓に鶏が良く巣を作ったそうです。見返りはその様子を描いており「平和」の山といえましょう。近又などがある下二階町の山鉾です。
猩々は古典書物に記された架空の動物でオランウータンに似た動物で目出度いとされます。見送りは唐獅子が記されいて、魔を祓いこの世を祝う姿を現しています。諏訪園や高砂などがある「上二階町」の山鉾です。
釼鋒は疾病邪悪を祓う武具で、見送りには三国志の英雄項羽が三本足の鐵釜を上げている勇猛な姿を現しています。鳳鳴酒造や玉川楼などがある「呉服町」の山鉾です。
高砂は夫婦愛と長寿を祝う目出度いものの象徴です。見送りは松の前に老夫婦の姿が描かれ「長寿」を願う方はこの前で拝むといいでしょう。梅角堂や小田垣カフェなどがある「下立町」の山鉾です。
孔雀は邪気を払う象徴で、見返りには中央に雌雄の孔雀が描かれており背景に牡丹と岩のが見られます。落ち着いたいい見返りですね。阪本屋やまえかわなどがある「上立町」の山鉾です。
架空の霊長である鳳凰、天下泰平の象徴で立派な君主や優れた人物が生まれると姿を現します。見返りには鳳凰が鮮やかに描かれています。「下河原町・小川町」の山鉾です。
9基のうち最古参の山が三笠山です。見返りには、日本の神話で素戔嗚尊(スサノウノミコト)が神代三剣を両手に掲げ大蛇を退治している様子が描かれています。「上河原町」の山鉾です。
本宮の12時半頃には春日大社の前にて9基がそろった姿は壮観です。毎年行われる神事ですのでまた黒豆の季節に合わせてお越しくださいね。